ホテル竹島 [旅行]
三河湾に浮かぶ、島全体が天然記念物の「竹島」を望むオーシャンビューの『ホテル竹島』には、20年以上前に労組の研修で1泊したことがあります
シンガーソングライターの岡村孝子さんが、岡崎ある実家に帰省した時、車を走らせて「ホテル竹島」の温泉へ入りに来たことがあると、昔インターネットラジオで話していたことを思い出しました
今日は、岡村孝子さんの62回目の誕生日ですね
ホテル竹島のホームページ…https://hotel-takeshima.co.jp/
でも、一度停まってみたいのは、ホテル竹島の近くにある『蒲郡クラシックホテル』です
蒲郡クラシックホテルのホームページ…https://gamagori-classic-hotel.com/
弥次喜多も静岡生れ [旅行]
今日、所用があって静岡市に出掛けた時、駿府公園を歩いていたら、巽櫓の前で「東海道膝栗毛」の弥次喜多像を見つけました
弥次喜多像は、京都・三条大橋のたもとにもありますが、「東海道膝栗毛」の作者である十返舎一九も、弥次さん喜多さんも駿河国府中(現・静岡市)の生まれなんです
弥次さんこと弥次郎兵衛(やじろべえ)の実家は裕福な商家でしたが、遊蕩が過ぎて作った借金が元で江戸に夜逃げし、喜多さんこと喜多八(きたはち)は弥次郎兵衛の居候で、元々は弥次郎兵衛の馴染みの陰間(男娼)であったため、弥次郎兵衛と共に江戸へ駆け落ちしたことになります
江戸でも不運が続き、厄落としにお伊勢参りの旅に出ることを決意したのが旅の始まり
栗毛は馬のことですから、自分の膝を馬とする、つまり江戸時代は一般的だった"徒歩による旅"のことなんです
近鉄特急「名古屋~名張駅」で室生寺へ [旅行]
今日は、1689(元禄2)年3月27日(新暦5月16日)、松尾芭蕉が「奥の細道」への一歩を踏み出した日とのことです
「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。」ですね
コロナ禍で3年程旅行を控えていましたが、秋頃に電車で奈良へ行きたいですね
新幹線で静岡から名古屋駅まで行き、近鉄大阪線の特急で名張駅にて普通電車に乗り換え、室生口大野駅で下車します
室生口大野駅で奈良交通バスに乗り、室生寺前バス停で下車して徒歩約5分で「室生寺」に着きます
「鎧坂」を登ります
日本で最も小さな「五重塔」です
写真家の土門拳氏が、室生寺に雪が降るのを待った「橋本屋旅館」です
兼高かおる 世界の旅 [旅行]
今日は、1959(昭和34)年に『兼高かおる 世界の旅』が放送開始された日です
1990(平成2)年まで、30年10か月の長寿番組になったそうです
我が家にテレビがやってきたのは1963(昭和39年)の暮れですから、放送開始から5年経った頃ですが、TBS系列(静岡では、当時唯一の民放「SBS静岡放送」)で、日曜日の朝の10:30~11:00に放送されていましたので、毎週欠かさず観ていた記憶があります
全世界・約160か国を取材した映像は、毎回新鮮で珍しいものばかりだったと思います
ペルーの「マチュピチュ遺跡」に行ってみたいのですが、死ぬまでに行けるかなぁ^^;)
デュークスホテル博多 [旅行]
今から10年前の11月1日~5日まで、リフレッシュ休暇の3日と土日を使って長崎と大分を旅した時、1日目に宿泊した「デュークスホテル博多」さんです
この日は、お昼のFDA便で福岡まで行く予定だったのですが、新潟から福岡に向かう途中で落雷に遭い、点検のため欠航になってしまい、仕方なく夕方の便に乗ったため、博多では宿泊のみで終わりました
WEBで予約したシングルの部屋です
部屋に備え付けてあったLAN端子に接続して
その日の出来事を、Blogにアップした記憶があります
注)現在、その記事は存在しません。
今日は、1890(明治23)年に帝国ホテルが開業したことによる「ホテルの日」だそうです
カメラを持って旅に出よう。 [旅行]
今日は、1689(元禄2)年3月27日(新暦5月16日)に、松尾芭蕉が「奥の細道」への一歩を踏み出した日だそうです
2000年10月15日発行となっていますので、今から20年以上前に買った本だと思いますが、フリーライター近藤玲子さんの「カメラを持って旅に出よう。」は、全国200ヵ所の撮影ポイントを紹介した旅のガイドブックで、この本を読んでいるだけでも旅行をした気分になれます
コロナ禍で、ここ2~3年旅に出ていませんが、ミラーレス一眼を鞄に忍ばせて、また旅に出掛けたいものです
松尾芭蕉は俳句で旅の情景を後世に残しましたが、旅先で写真を撮りながら、私も俳句を詠んでみようかな
夏井先生に「才能なし」と評価されそうだけど…^^;)
小豆島 [旅行]
今日の『ブラタモリ』は、香川県の「小豆島」でしたね
小豆島の複雑な地質が、オリーブ、醤油、そうめん、ごま油といった食材を生み出したという謎解きでしたが、私が小豆島を訪れたのは高校の修学旅行の時でした
上の写真は「二十四の瞳」の像の前で記念撮影したものですが、女子高に男子生徒が混じっているような写真になっています
文系選抜のクラスでしたので、女子31名に対し男子16名というクラス編成でした。従って理系のクラスでは"男子だけ"というクラスが出来てしまい、これが1泊目の高松での夜に問題を引き起こすことになりました^^;)
オリーブ園のギリシャ風車を観て、タモリさんは「これは必要なのか?」と言っていましたが、後ろで浅野アナウンサーが微笑んでいましたね
そう、ジブリ作品『魔女の宅急便』に出てくる風車のモデルとなったことで、若い女性が箒にまたがって、ジャンプして撮影する"インスタ映えポイント"になっているようです
注)魔女の写真は、WEBサイトから借用しました
かずら橋 [旅行]
facebookに、7年前に行った「かずら橋」の記事が“過去の思い出”として紹介されていましたので、今日は2014(平成26)年8月13日に行った徳島県三好市にある「かずら橋」を紹介します
渡り口に向かいます
これが「かずら橋」です
あんなに人が乗って大丈夫なのでしょうか
順番待ちです
渡ります!!
こんなに間が空いているので、サンダルでは無理ですね
眼下には「祖谷川」が流れています
何とか渡り終えました
「かずら橋」は3年に一度架け替えるそうです
この後、午後1時頃に出発して、高知道~徳島道~高松道を乗り継いで瀬戸大橋を渡り、山陽道を東に向かって姫路城を目指しましたが、一般道に降りてから渋滞にはまり、姫路城に着いたのが17時45分頃でしたので、城内への入場は出来ませんでした
水窪散策 [旅行]
昨日、2005(平成17)年7月1日に周辺10市町村と共にに浜松市へ編入合併され、現在は天竜区の一部となった「旧磐田郡水窪町」に行ってきました
教会でしょうか?!
遠州と信州を結ぶ「塩の道」が通り、かつては宿場町として栄えた商店街には、昭和の名残りがありますね
このような用水路は、「寸又峡温泉」にもあったような気がします^^;)
懐かしい消火栓ですね
鍬などの農具も扱っている「雑貨屋」さんでしょうか
こういう感じの路地、好きです
フジカラーの看板は、写真館でした
ここの食堂は、完全予約制でした
この先は何もなさそうなので
この道を戻ることにします
鹿のオブジェが、街灯の上にあります
スズキのお店
緑のトンネルを潜って
吊り橋を渡ります。
川の流れが清らかです!!
ベンチがあります
急な階段を登ります
絶景です
JR飯田線の「水窪駅」です
レトロな待合室や
ノスタルジックなホームは、「寅さんシリーズ」や「金田一耕助シリーズ」の撮影に使えそうですね
戻ってきました