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徳川家光は、家康と春日局の間に生まれた子供!? [歴史]

徳川家光.jpg
今日は、徳川三代将軍家光公の誕生日です[バースデー]
慶長9年7月17日ですから、西暦だと1604年8月12日になります。

家光は、二代将軍秀忠と江(浅井長政の三女で、織田信長の姪)の嫡男として生まれたことになっていますが、一説によると徳川家康と春日局の間に生まれた子供ではないかと言うことです[がく~(落胆した顔)]

焼津市にある大庄屋・良知家(現在のご当主は県会議員です)には、家康と春日局がこの家で密会していたという記録が残っています。家康はこの時60歳を超えていましたが、自分で薬を調合するなど健康には人一倍気を使い、牛肉(おそらく近江牛の味噌漬け)も食べていたようですので、春日局と男女の関係があったとしてもおかしくありません。また、秀忠・江夫妻が家光の実弟・国松(徳川忠長)を溺愛し、江は三代将軍に忠長を推していたことからも、家光が秀忠・江夫妻の子ではなかったような気がします^^;)

家康は、田中城(藤枝市)で食べた“鯛の天婦羅”に当たって死んだとされていますが、良知家のある田尻辺りで狩りをしている時、何者かに鉄砲で撃たれ、その傷がもとで死んだのが事実のようです[ふらふら]

私が思うに、このスナイパーは江が放った者ではないかと…後に、江は江戸城内で毒殺されたようです[もうやだ~(悲しい顔)]
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