鉄道の日 [鉄道]
今日は1872(明治5)年に、新橋~横浜間に日本初の鉄道が開通した日です
歩くと1日かかった新橋~横浜間を53分で走り抜けたそうです。
そこから遅れること17年の1889(明治22)年7月1日 、新橋から神戸までの 「東海道本線 」が全線開通しましたた。 新橋~神戸の直通列車は1日1往復の運行で、所要時間は 20時間5分 、運賃は下等で3円76銭だったそうです
当時のもりそばが1銭だったそうですから、現在の価格510円で計算すると191,760円になり、現在の東京~新神戸間の新幹線運賃(自由席)が14,160円ですので、約13.5倍も高かったんですね
写真は、大井川鐡道千頭駅で写したC-56蒸気機関車です
駿遠線跡を歩く [鉄道]
今から51年前の1970(昭和45)年まで、家の近くを軽便鉄道「静岡鉄道駿遠線(すんえんせん)」が走っていました
10年前に一度ブログで取り上げましたが、そのブログ記事が消えてしまったため、今日改めて歩いてみました
写真は、大井川に架かる鉄道橋(木製)の基礎部分です
今少年達がサッカーをしている辺りに、鉄道橋が架かっていました
小学校5年の時の担任の先生(女性)が、榛原町から駿遠線で通っていて、大井川が増水して不通になった時は休んでいましたね^^;)
坂を下りて行きます。
勾配が急ですが、当時はもっと緩やかだったと思います
暫く直線を進みます。
この先が、少し左にカーブしてします。
今は家が建っていますが、かつて「大井川駅」があった所です
「詩の小径」という看板があります
鉄板が敷かれたこの橋は
当時の鉄橋を、枕木と共に再利用しています
この先が大きくカーブしています。
ここから直線に戻ります。
「田沼街道」と交差します。
注)「田沼街道」とは、相良城主だった田沼意次の時代に、相良から東海道藤枝宿まで整備された街道で、島田~金谷の川越以外に、下流で唯一大井川を渡れたようです。
また交差点に出ました。
左側に見える家が昔は駄菓子屋で、この近くの公会堂(旧役場)で予防接種を受けた後に、この店で痛いのを我慢したご褒美に、お菓子を買って貰った記憶があります。
右が線路跡です!
この墓地での幽霊話(冗談!?)を先生から聞いて、夜にここを通るのが怖かったです
幼稚園跡です。
少し坂になっています。
ここに鉄橋がありました。
この辺りに線路があったのかな?!
ここを真っ直ぐ行くと「上新田(かみしんでん)駅」です。
この家は典型的な「舟形屋敷」で、大井川が氾濫した時に上手く水を分けて、水害を防ぐ役目をしています
ここに「上新田駅」がありました。
最後に「子安神社」に参拝しました。
ここで安産祈願をする時は、岩田帯と底が抜けた柄杓(タモリさんじゃないけど、安産スッポンですね^^;)を奉納いします
渡らずの鉄橋 [鉄道]
ICOCA [鉄道]
たま電車 [鉄道]
静岡鉄道駿遠線 [鉄道]
今日は、1872(明治5)に新橋~横浜間に日本初の鉄道が開通した「鉄道の日」です
鉄道と言えば、私が中学に入学した1970(昭和45)年まで、家の近くを軽便鉄道「駿遠線」が走っていました
かつては藤枝駅から駿河湾沿いを御前崎辺りまで南下し、そこから袋井駅まで繋がっていたようですが、この軽便鉄道に乗って静波海水浴場へ行ったり、藤枝駅前までプラモデルを買いに行ったりしていました
最寄りの駅は上新田駅で、そこから大洲駅~高洲駅~新藤枝駅と乗って行くと、片道運賃は大人30円、子供15円だったと思います^^;)
従って130円持っていれば、100円のプラモデルを買って子供運賃で往復出来たのですが、帰りに1本5円のおでんを食べてしまうと運賃が足らなくなって、約4㎞の道を歩いて帰ってきたことがあります
1969(昭和44)年6月に東名高速道路が開通し、上新田駅の近くにバス停が出来たため、今まで藤枝駅経由で静岡市に出掛けていたのが、東名高速バス(静岡~浜松間を走っていた)で直接行けるようになったため、小学6年生のころから静岡駅前まで一人で出掛けるようになりました
最近は電車に乗る機会が無くなりましたが、また電車に乗って何処かへ出掛けたいですね