駿遠線跡を歩く [鉄道]
今から51年前の1970(昭和45)年まで、家の近くを軽便鉄道「静岡鉄道駿遠線(すんえんせん)」が走っていました
10年前に一度ブログで取り上げましたが、そのブログ記事が消えてしまったため、今日改めて歩いてみました
写真は、大井川に架かる鉄道橋(木製)の基礎部分です
今少年達がサッカーをしている辺りに、鉄道橋が架かっていました
小学校5年の時の担任の先生(女性)が、榛原町から駿遠線で通っていて、大井川が増水して不通になった時は休んでいましたね^^;)
坂を下りて行きます。
勾配が急ですが、当時はもっと緩やかだったと思います
暫く直線を進みます。
この先が、少し左にカーブしてします。
今は家が建っていますが、かつて「大井川駅」があった所です
「詩の小径」という看板があります
鉄板が敷かれたこの橋は
当時の鉄橋を、枕木と共に再利用しています
この先が大きくカーブしています。
ここから直線に戻ります。
「田沼街道」と交差します。
注)「田沼街道」とは、相良城主だった田沼意次の時代に、相良から東海道藤枝宿まで整備された街道で、島田~金谷の川越以外に、下流で唯一大井川を渡れたようです。
また交差点に出ました。
左側に見える家が昔は駄菓子屋で、この近くの公会堂(旧役場)で予防接種を受けた後に、この店で痛いのを我慢したご褒美に、お菓子を買って貰った記憶があります。
右が線路跡です!
この墓地での幽霊話(冗談!?)を先生から聞いて、夜にここを通るのが怖かったです
幼稚園跡です。
少し坂になっています。
ここに鉄橋がありました。
この辺りに線路があったのかな?!
ここを真っ直ぐ行くと「上新田(かみしんでん)駅」です。
この家は典型的な「舟形屋敷」で、大井川が氾濫した時に上手く水を分けて、水害を防ぐ役目をしています
ここに「上新田駅」がありました。
最後に「子安神社」に参拝しました。
ここで安産祈願をする時は、岩田帯と底が抜けた柄杓(タモリさんじゃないけど、安産スッポンですね^^;)を奉納いします
2021-09-25 22:46
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