田中城下屋敷 [名所旧跡]
数年ぶりに、藤枝市にある「田中城下屋敷」を訪れました
鷹を片手に載せた「大御所様」の像です
「鷹狩り」の様子かな?!
「扁額」が飾られています。
櫓の二階から見た風景です
「家康の鷹狩りと田中城」の説明書
「本能寺の変」の後、伊賀越えで岡崎へ逃げ帰る途中、白子に住む小川孫三に船で対岸の常滑まで渡してもらったそうです。ところが、孫三が白子に帰ると家康を助けた者は刑に処せられると知り、家康の元を家族で訪ね、藤枝に住むようになっとのこと。
現在も残る「白子(しらこ)」の地名の由来ですね
家康が関が原へ向かう途中、藤枝宿に立ち寄った時に五十海(いかるみ)村の橋本藤八という者から柿を献上されました。その柿は美濃の大垣の柿で、ちょうどその頃石田三成は美濃の大垣城に居たため、美濃の大柿を食べることが吉兆となり、家康は三成に勝つことが出来たそうです!!
大坂の陣には、藤枝の職人たちも出陣して、橋を掛けたり、道を整備したりして活躍したそうです^^
家康は田中城で食べた「鯛の天婦羅」に当たって亡くなったことになってしますが、実際は田尻(焼津市和田地区)で鷹狩りの最中に、何者かに狙撃され、それが元で命を落としたという記録が残っています
勝海舟、山岡鉄舟と共に、「幕末の三舟」の一人高橋泥舟は、明治二年に田中奉行となって藤枝に赴任したそうです。
これも高橋泥舟の書でしょうか?!
向うに見える、「西益津小学校」の辺りが田中城本丸です。
庭に降りて来ました。
鮮やかなオレンジ色ですね
赤の紅葉も綺麗です。
駿府城本丸跡にある「みかんの木」の、剪定した枝を"接ぎ木)したものだそうです
美味しそうなミカンが生っていました
小ぶりの紅葉
「亀石」
池の向こうは竹藪かな!?
歩廊を渡ります。
向うに「茶室」が見えます。
これも小ぶりな紅葉
カルガモさん達がいます
茶室の窓越しに…
「陣羽織」
厩には、お馬さん(作り物)がいました。
茶室越しに…
では、家へ帰ることにしましょう